2020/01/28
九州と同程度の国土面積しかもたないオランダ。しかし、金額ベースでは米国に次ぐ世界第2位の食料輸出国だ。国土の狭さをカヴァーしてきた同国の技術力は温室でも見てとれる。食のイノヴェイションの中心地「フードヴァレー」の挑戦を追う「FEEDING THE 11 BILLION」、第3回のテーマは「温室」だ。(雑誌『WIRED』日本版VOL.35より転載)
TEXT BY SAMI EMORY
TRANSLATION BY ASUKA KAWANABE
WIRED (UK)
世界人口は、今世紀末に110億人に達するという。飢餓に喘ぐ人々がいる現状に、増え続ける人口と気候変動が追い打ちをかければ、行き着く先は世界的な食糧危機である。そんな未来を変えるべく研究を続けているのが、オランダのヴァーヘニンゲン大学(WUR)を中心に広がる「フードヴァレー」だ。その挑戦を、4回にわたって追う。
ヴァーヘニンゲン大学(WUR)の施設「ユニファーム」では、園芸学・栽培生理学教授レオ・マルセリスのチームが、さまざまな色のLEDが温室の作物に与える影響を研究している。
オランダで従来使われてきた高圧ナトリウムランプに比べ、LED照明はより効率的かつ持続可能なアプローチだ。マルセリスらは、そんなLEDで温室栽培のエネルギー消費量を半減させようと研究に取り組んでいる。
ナトリウムランプをLEDに替えるだけで、エネルギー消費量は25%削減できる。寿命もLEDのほうがはるかに長い。また、ナトリウムランプは熱も発するため、植物から充分距離をとって設置しなくてはいけないという制約があるが、ほとんど発熱しないLEDなら成長に最適な位置に照明を置ける。
「問題は、植物にとって最も理想的な色は何かです」と、マルセリスは言う。各植物や品種には、成長に最適な「光のレシピ」がある。例えば、赤色LEDはエネルギーを光合成に必要な光量子へ最も効率的に変換するが、赤色光だけで育てられた作物は異常な成長の仕方をみせることもある。これを防ぐため、植物の正常な発達を助ける青色LEDが加えられるのだ。ユニファームの作物のほとんどは、この赤と青のバランスが慎重に制御された光の下で栽培されている。
適切な設置場所と光のレシピで、温室栽培のエネルギーコストは半減できるとマルセリスらは考えている。WUR流のモットーにある通り「2分の1のリソースで2倍生産」だ。
「SWEEPER」は、WURが複数企業と開発したパプリカ収穫ロボットだ。アームのカメラで実を撮影し、色で成熟度を分類。位置関係を記録し、熟したものだけを収穫する。
SWEEPERの発展を支えるのは、植物の形質を計測するフェノタイピング(表現型解析技術)という地味な技術だ。「農家向け自動装置の多くは『脳』と『目』が物を言いますが、フェノタイピングもまた、いかにカメラやセンサーで植物に関する情報を収集できるかがすべてなのです」。そう話すのは、WURで「Agro Food Robotics」イニシアティヴのコーディネーターを務めるシニアサイエンティストのリック・ファン・デ・ゼッデである。
かつては面倒な手作業で行なわれていたフェノタイピングだが、ロボティクスがそれを変えた。特徴を機械的に定量評価することで、植物の繁茂や病気の要因、気候変動への耐性などを理解する手がかりが得られるのだ。
2018年、オランダ政府は、ヴァーへニンゲンにあるオランダ・プラント・フェノタイピング・センターという国家プロジェクトへの資金提供を発表した。目的はフェノタイピングのハイスループット化だ。「実現すれば、より健康にいい食材や耐病性が強い農作物の開発に挑戦できます」と、ファン・デ・ゼッデは言う。
作物の専門家フィリップ・ファン・ノートが、ヴァニラの房を指差す。その先にあるのは「ネザーヴァニラ」。オランダでも、ヴァニラが確かに栽培・収穫できることの証しだ。
ヴァニラは世界で最も人気のフレーヴァーで、サフランに次いで高価なスパイスとされる。しかし、世界のヴァニラの80%を生産するマダガスカルは、近年干ばつやサイクロン、危険な農業環境に脅かされており、ヴァニラの価格も高騰中だ。2018年初頭には、1kg当たりの価格が銀を超える600ドル(約6.5万円)となった。
この温室で栽培されている高価で珍しい植物はヴァニラだけではない。ファン・ノートは、パパイヤやアボカド、ワサビ、インディゴなど、さまざまな植物の栽培実験にかかわっている。目的は、トマトの成功の再現だ。第二次世界大戦後、オランダは南アメリカが原産のトマトの温室栽培に成功し、トマトはオランダの農業革新の代名詞となった。輸出額でみれば、いまやオランダはメキシコに次いで世界第二のトマト輸出国である。
現在ファン・ノートらが栽培している植物の多くは、普通温室で栽培されない種だ。そのため、彼らはLEDや水耕栽培、ミストなどを使って、いかに原産地の気温や光、雨を模倣し、植物を自然に育てるかを研究している。
さらにヴァニラの場合、送粉者は研究者だ。ヴァニラの開花は予測しづらく、開花後は花が萎む昼までに手作業で受粉させなくてはいけない。この温室ではヴァニラが365日監視され、研究者たちが毎日丁寧に花の手入れをしているのだ。